心配してくれた方、来てくれた方、その他みんなありがとう。騒ぐのが好きだった親父もきっと喜んでいるよ。
今思えば(というか前から思っていたけど)、親父にはいっぱい苦労かけたなぁ。兄弟の中では一番怒られてた気がする。それもわりとしょーもないことで(^^;)
朝起きない、とか。新聞取りに行かない、とか。
ちょっと俺が頑張れば済む話なのに、なんか変に意地を張ってしまったりして。ここらへんは母親には親父似だと言われる。
息子の自分が言うのもなんだけど、うちの親父はめちゃ面白かったぞ。これは言葉ではそう簡単に伝わらないけど、ほんと、面白かった。
友達が来ると、輪に入ってきて、それが普通はうざったくなるようなもんだけど、うちの親父は面白いからなんか別に気にならなかった。俺はね。
あったことない人には是非一度は会ってもらいたかった。残念だよ。
それにしても、この年で親父と別れることになるとは全く思ってなかった。パイロットになれたら親父と一緒にフライトするという夢も、もう叶えることはできない。
そのパイロットになるという夢も、親父には反対されてたんだけど、結局しっかり話し合わなかったなぁ。「俺が何を言ってもおまえはパイロットになろうとするだろうが」とは言ってたけど。
仕事に行く時の親父はカッコよかったよ。コックピットに乗せてもらった時のフライト中の親父はさらにカッコよかった。
今思えば、親父のラストフライトは俺と下の姉が乗せてもらったシカゴ発成田行だったんだよね。あれがまさかラストフライトになるとは……。
告別式が終わった次の次の日(22日)の晩、なんか家族5人(今まで6人だったからこのフレーズは慣れないな)で親父の思い出話をした。
いろいろな笑い話もあったけど、今まで聞いたことのなかった、若い頃のすごく苦労した話も聞いた。お金で苦労したこと、韓国人であることで苦労したこと、などなど。
やっぱり親父の子供の頃はまだ韓国蔑視の風潮が根強く残っていたから、たいへんだったんだって。これは母親の話。
今日で親父が死んでから六日。初七日にあたるけど、無宗教だから、まぁ特に何もしないだろう。
こうやって日々は過ぎていく。自分も一歩一歩親父のいるところに近づいているんだなぁと思う。
でも母親より自分が先になることにはなりたくない。親父は両親(つまり俺の祖父母)ともにまだ健在だから、ものすごく親不孝だった。
子が親を思う気持ちよりも、やっぱり親が子を思う気持ちの方が強い。ばあちゃんは今怪我で入院中だから来れなかったんだけど、じいちゃんは見ててほんとかわいそうだった。
まだまだ考えたことはいっぱいあるけれど、今日はここまで。今日の日記は印刷して取っておこうかな。